和田峠の三十三体観音




JR中央本線 下諏訪駅の北北東 11Kmです。

  冬季の降雪も多く、中山道最大の難所と云われた?和田峠の中腹に観音像が立ち並んでいると聞き訪れてみた。
  佐久市内から国道 142号を下諏訪方面に走り「男女倉口 標高1100M」の標識を右に曲がり旧国道に入るとすぐ「歴史の道 中山道」の案内板と立派な石塔が建っています。
  そこは右に曲がる登り坂ですが、左に入る小道脇に駐車スペース?が有ります。
ここから、緩やかな山道を10分ほど登ると休憩小屋の脇に多数の観音像が鎮座しています。

説明板を転記します。
三十三体観音
  かつて、この山の中腹にあった熊野権現社の前に並んでいた石像である。
旧道の退廃とともに荒れるにまかせていたが、昭和 48年(1973)の調査発掘により、29体が確認されここ旧道ぞいに安置された。 内訳は千手観音 13体、如意輪観音 4体、馬頭観音10体、不明 2体で、4体は未発見である。
  峠の難所を往来する人馬の無事を祈ってまつったものであろうか。
                                   文化庁  長野県  和田村


ここから、さらに30分ほど登ると国道と合流した地点に茅葺きの建物があります。
復元された「接待茶屋」です。

説明板を転記します。
接待(和田峠施行所)
  江戸呉服町の豪商かせや与兵衛(有隣)が、中山道の旅の難儀を幾分でも助けようと金千両を幕府に寄付した。  その金の利子百両を二分して、碓氷峠の坂本宿とこの和田宿に 50両づつ下付し、文政 11年(1828)に設置された施行所の一つである。
  11月から 3月まで峠を越える旅人に粥と焚火を、牛馬には年中桶一杯の煮麦を施行した。
その後、山抜により流失したが嘉永 5年(1852)現在地に再建され明治3年までつづけられた。
                              文化庁  長野県  和田村