諏訪の石仏





諏訪大社
 日本最古の神社と言われており、諏訪湖南側の上社前宮と本宮、北側の下社春宮と秋宮の2社4宮で構成された全国に1万余を数える諏訪神社の総本社です。
  七年に一度行われる「御柱祭」は、山奥から もみの巨木を曳き出し 2社4宮の四隅に計16本の御柱を建て替える行事で、雄大なスケールで繰り広げる祭事は日本奇祭の一つに数えられマスコミで大きく報道されている。
2段目左2枚.....下社春宮

万治の石仏
  下社春宮の鳥居前を左に曲がり川を渡った右奥、畑の中に鎮座しています。
高さ2mほどの巨岩の上に小さな頭をちょこんと載せた石仏で、左側面に万治三年(1660)が刻まれています。
  風変わりで ユーモラスな仏頭の像容などから、大阪万国博覧会(1970)のシンボル「太陽の塔」であまりにも有名な岡本太郎氏が絶賛した人気の石仏です。

  諏訪大社春宮の大鳥居建立時、鳥居の石材として、この巨岩にノミを入れたところ血が流れ出し恐れをなした石工が仕事をやめた、その石工の夢枕に諏訪明神が立ち、お告げにより良材が見つかり無事鳥居が完成したという伝説が残っています。
上段4枚

慈雲寺の石仏
  正安2年(1300)に創建された古刹で、本堂の前庭にある樹齢 400年以上と言われる「天桂の松」が有名です。
  庭師が円すい形に手際よく縄を張る「雪つり」の松が、きれいに整備された石庭と散り残った木葉の中に冴えていた。
2段目の右2枚と、3・4段目の10枚

御神渡り
  湖面が全面結氷し厳しい寒さが数日続くと、湖面が盛り上がり山脈のように連なる御神渡がみられます。
今でこそ 氷が収縮と膨張を繰り返して出来る氷のせり上がり現象と科学的に説明されていますが、昔の人は神の仕業と恐れ敬い、上社の男神が下社の女神のもとに通った道「神の恋の通い路」という伝説を残しました。

  最近は暖冬で御神渡り現象は起きていないようです。