禅・道元禅師・曹洞宗
越前永平寺の石仏  能登総持寺祖院の石仏  鶴見総持寺の石仏

             永平寺境内の寂光苑に立つ道元禅師が出家を決意された少年期の御姿 「稚髪御像」
  私が生まれ育った実家は代々曹洞宗の寺院を菩提寺としています。
曹洞宗には、福井県に大本山永平寺・神奈川県に大本山總持寺の大本山2寺と、石川県に大本山總持寺祖院があります。

  永平寺と総持寺には 40年ほど前に一度訪れていた。
福井に出張した帰りに永平寺を訪れ実家に立寄った時、母から総持寺祖院が能登にある。
永平寺と総持寺は昔の一時期、勢力争いをしたようだ、とその時聞いていた。
総持寺には、その 2年後菩提寺の計画したバスツアーで母が宿坊に泊まった時訪れた。
  今は分派している訳ではなく?、曹洞宗の基礎と教学を創設した道元禅師の永平寺、本格的に布教に力を入れた瑩山禅師の総持寺、いずれも日本曹洞宗の中心寺院です。

  今年の春に永平寺と総持寺祖院を、夏に総持寺を訪れてみた。
特に心の変化は無い、何時もの、「野仏を 見る旅 撮る旅 ひとり旅」 です。

永平寺
  寛元2年(1244)曹洞宗の宗祖 道元禅師によって開山された座禅修行の道場です。

総持寺祖院
  元享元年(1321)曹洞宗の 4世、太祖 瑩山禅師によって開山され、永平寺と並ぶ座禅修行の道場として栄えた。
  明治 31年(1898)の大火で七堂伽藍の多くを焼失、本山を神奈川県の鶴見に移転し、ここは総持寺祖院として再建された。

総持寺
  明治 40年(1907)石川県輪島市から移転してきた。
都心に近くて交通の便もよく、ひらかれた禅道場として国内外に広く知られています。

映画 「禅 ZEN」
  今年の春、各地の映画館で 「禅 ZEN」 が上映されました。
曹洞宗を開き禅の教えを説いた鎌倉時代の僧、道元禅師の生涯を描き出した映画で歌舞伎俳優の中村勘太郎さんが凛とした姿で演じています。
  自らを極限まで律して到達できる?禅の世界、上映時間 2時間余を観ただけで、禅とは・曹洞宗とは何ぞやと理解するのは無理な話ですが少し感じるものがあります。

  冒頭の 「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」、 この和歌は、ありふれた四季の移り変わりの中に浄土を見る?、道元禅師悟りの境地?を歌ったのだろうか。

  死の床で 「・・・ 何故人は争い、病の苦しみ死の苦しみから逃れられないのでしょうか・・・・、そなたに、その苦しみから抜ける道を見つけて欲しい・・・・」。 道元の母はそう言い遺し、この世を去った。
  幼くして母と死別した道元は、公家に生まれながらその後仏門(比叡山)に入ったが、時の権力者とむすび利欲をむさぼる比叡山の姿に失望、24歳のとき真の仏道を求めて中国へ渡った。  そこで、生涯の同志で弟子となる寂円との出逢いがあり、やがて生涯唯一の師となる如浄禅師の元で、「ただひたすらに坐る」 という坐禅を中心とした修行を積み、ついに悟りを開いた。
  帰国後、禅の教えを広めようと努め次第に共感者が増えてくるが、それを妬んだ比叡山僧兵の迫害を受け越前山中へ移住んだ。 そして、寛元 2年(1244)、外護支援者 波多野義重の寄進を受けそこに永平寺を建立した。
  その共感者の中には、若き僧の俊了、元達磨宗の懐奘、中国から道元を訪ね渡ってきた寂円もいた。
  道元が若き日に助けた少女おりん・乳飲み子を失い自暴自棄になった遊女おりん(内田有紀)も、現実を受け止めるようにと説かれ、次第に理解を深め心を救われた一人だった。

  おりんに惹かれた若き僧の俊了、「仏門に入るもの色欲を感じる事はご法度」 とされている?仏門の教えに負け、自ら道元の下を去る人間らしい?責任のとり方、自分を許さぬ心が美しい。

  僧たちの指導に励むある日、波多野義重が訪れた。
天下取りの後、若き執権・北条時頼が数々の戦で自らが殺めてきた怨霊に取り憑かれており見兼ねた波多野義重が救いを求めて来たのだった。
  鎌倉へと向かった道元は、あるがままの真実の姿をみる事、その現実を受け止める事こそ救われる道と説き、呪いから解き放した。  生首が海岸に並べられ、北条時頼が怨霊に悩まされるシーンは目を閉じてしまった。

  雪深い冬の永平寺、死の床で最後の教えを説き、参禅の鐘が鳴るなか坐禅をする姿で御入滅。  命果てても坐禅を続ける姿に静かに涙を流す僧たちの姿が美しい。
  その時の 「座禅を続けよう」、僧の一声に思わず涙した。
遺言?となったおりんの得度、終盤に流れるおりんの尼僧姿が二重に見えた。
  別の意味でおりんの尼僧姿が美しい。 ・・・・・ ワタシワ仏門に入れない。

  冒頭の中国語や仏教用語など、理解できない場面も多々有りましたが、四季の風景の美しさ・僧の立ち振る舞いの美しさ・人としての生き方の美しさが溢れています。
  道元禅師の言動に自然と合掌するほど心に沁みる作品です、禅と歴史の大まかな知識が少しでも有ればもっと楽しめたかも。
越前永平寺の石仏  能登総持寺祖院の石仏  鶴見総持寺の石仏